アカデミックの世界で生きるデッドライン

以前から私と彼の間で留学や今後の進路について様々に話し合いが行われてきた。


1.留学については、ある程度意見の一致をみてきた。それは資金確保、期間、テーマ選択という点の条件である。アメリカを永続的拠点として研究することも彼は憧れとして視野にいれていたようだが、最近やはり自分には厳しいのではないかと考え始めたため、日本に戻ってポストを得るつもりでの留学になる。留学を資金の確保があいまいなまま実行するのは危険であり、奨学金の確保が前提となること、また長期間の留学もリスクが高いので、奨学金が受領できる期間+1年が限度となるだろう(長くて3年くらいか)、また、その期間で成果が出せるようなテーマ・ラボを選択しなければならないだろう、ということが挙げられた。理想は、日本でパーマネントなポストを維持したまま留学することだけど、さすがにそこまで美味しい話はないとおもう。


2.それからもう一つは、最終的にpermanentに雇用されることが必要だという点についても、一致。35歳までにパーマネントなポストがないと厳しい。その後もポスドクとしてやっていくことは可能であろうが、40過ぎぐらいに限界がくるとおもう。そのころは本当に、どこにも行けなくなるだろう。(いや、本当に死ぬことはないだろうが、彼が満足できる先にはいけない)
具体的にいつをデッドラインとするかという点はまだあいまいなままである。彼は、35の時点でパーマネント名なアカポスが得られなければ転身を考えるというが、私自身としては、やはり助教となれるギリギリの35歳よりも、1,2年手前の32,33歳ぐらいをデッドラインにしておかないと、ダメだった場合に選択肢が激減すると思うのだ。ごく普通の企業に勤めていても、転職のひとつのデッドラインは35歳であるが、彼の場合は「正社員として勤めた経験」なしでの方向転換であることを考慮すると、やはりその手前でないと厳しいと思うのだ。


3.そこで、現時点での判断基準として私が思ったことに、学振の研究員になれるかどうかというのがある。これがダメならば、とりあえず何年かのポスドクは可能であっても、今後permanentなポジション争いをするのに十分な戦力をもてないかもしれない。
同じ大学の生物系にいる彼の同期のなかで、自分が狙っているのと同レベル以上のジャーナルに出したのは2人しかいないと彼は言うが、実際にポストを争う競争相手は、同じ学年だけでなく前後5年くらいに属する人を指すと思う。学振くらいとれないと厳しいんじゃないかなあとおもった。もちろん、とれたからといってポストの保障はないが。



35までにpermanentなアカポスを得るには、短期間でいい業績をだしていないと無理だとおもう。
私も今の研究者のおかれている状況は絶対に間違っていると思う。短期間で業績をだせないようだと正規の職員となれないなんて、いくら好きなことをしているからといっても、今後の科学を担う優秀な人たちに対して見合っていないと思う。それじゃあじっくり取り組む基礎研究がおろそかになると、私も本当にそう思う。


そのようななかで、彼の友人が博士をあきらめる件を聞き、動揺していたところであるが、もうひとつ私たちの動揺を誘う事態が生じた。


8月29日、さすがにココは通るだろうといわれていた雑誌CBにプレサブミッションの段階でリジェクトされたことである。


NやSといった超トップジャーナルにリジェクトされたことはまあ理解できるし仕方ないと思えた。このCBも一流紙とはいえ、通るだろうという下馬評だったという。彼の独りよがりだったのではないかという疑惑が生じるが、その分野では有名なアメリカの研究者H教授に研究内容を紹介した際も評価された研究であった。それに第二著者の助教などは、どうせ正式なサブミッションになるに決まっているからプレサブミッションはしなくてもいいだろうという意見であったという。今回のリジェクトで、ラボのみなも驚いたらしく、これはコンペティターの圧力とか、ここの研究室に対する何らかの圧力だとかそういう力が働いているんじゃないかという憶測(根拠はないが)が飛び交う事態となっているから、それほどひとりよがりとはいえないだろうとおもう。


何か書き方が根本的に間違っているのかもしれない、ということで少し他の人にも相談してから、次にどの雑誌にだすか考える事になった。


私としても、さすがにこれは予想外であった。
彼には大学でキャリア相談室の予約をとるよう促した。
二人でも毎日いろいろと話し合いを重ねている。辛い。これから先、もちろん好きなことをしていてほしいなという願いは私ももっているけど・・・。
今、真剣に考えるときが来たのだと思う。だから辛いけれど悩んでおきたい。