彼:もうすぐ(たぶん明日)submitです。感受性が低下中/私:も少し執筆開始

彼が相手にしてくれないので、急遽高校時代の友人に連絡をとってみたがフラレた・・・。ついていないわ。
明日submitするというし、もうちょっとの辛抱だー!!


そんなわけで今日は私も論文執筆してみた。相変わらずテンションは低いので「方法」にさえすすまないままだ。はーこんなだらだらしている自分が嫌になる。彼のように権威ある雑誌に投稿するわけじゃないんだから、ちゃちゃっと仕上げて試験勉強して英語の勉強すればいいのに。


時々彼からの電話が鳴る。うだうだと話していたのだが、そのなかで彼がのたまっていたのだが、自分の感受性が摩耗しているというような趣旨のことだ。こないだの国際学会でいろいろな研究発表を聞いたけど、いまいちピンとくる研究がなかった。だとか、こないだ昔の彼が書いた文章をたまたま見つけて読んだところ、自分はこんな情感あふれる文章書けていたのに今は乾いた文章になってしまった。というような話だ。


けっこう、これ、やばいんじゃないの??と私は思った。
私の持論だけど、頭のいい人とかって、関心の幅が広くて、趣味もなかなか凝っていて、様々なことに造詣が深いという印象がある。私の受講している授業でもたまに、業界で有名なドクターなんかが出現するけど、知識の勢いっていうんでしょうかねえ、すごいんだよねー。専門分野はもちろんだけど、それ以外にもアンテナがはりめぐらされている感じ。(ま、幅広い関心をもっていても、専門分野の知識があやうい人なんかもいて、テレビに出ている「文化人」なんかはそういう印象強くて、それは確かに本末転倒なんだがね。)
サラリーマンなんだったら、まあ、感受性を磨かなくても、日々を受け入れ従順に生きていくという道もないわけじゃない。
が、研究の分野でやっていくってのは、面白いと思う好奇心がなかったらやばいんじゃないの??日々の生活でも、新しい発見がないかってワクワクしている状態が大事なんじゃないのかなー。今やっている論文に没頭することはもちろん大事だし、しっかり仕事は仕上げて欲しい。今はそれに集中する時期だとは思うが、だからといって他の刺激をキャッチできる素地が無くなっているとしたら、それは、まずいんじゃないかねー。
今の論文がアクセプトされたら次にどういう研究をするのかっていうようなことは、いろいろ他の研究だとかその他様々に刺激を受けて思いつくものだろうしさー。


無事submitしたら少し、頭の筋肉をほぐしてあげなければなあ・・。